
なぜ「都会の若者」は免許を取っても車を買わないのか? 田舎のマイルドヤンキーや残クレアルファード層との違いは。
都会の若者は別に車がなくても公共交通機関で生活できますが、田舎のマイルドヤンキーは車がないと生活出来ません。
都会の若者が車を買わない理由は簡単に言うと、これだけなのですが、「何をステータスと考えるか」という価値観の違いも
あるそうな。
娯楽や交流がオンライン中心に移行したことも、クルマを媒介とした体験価値を低下させた。スマートフォンゲームやライブ配信、SNSのコミュニティが時間と関心を占有している。その中で、自動車メーカーはKINTOやダイハツのサブスク型サービスを投入し、「所有ではなく利用」の価値を訴求している。しかし都市部の若者にとってクルマは必須ではなく、メーカーが提供する価値と若者の求める利便性や体験価値には依然としてギャップが残る。
(中略)
一方で、地方の若者の中には趣味やステータスとしてクルマを選ぶ層も存在する。アルファードやハリアーなどの高級車を残価設定クレジットや中古車で所有し、ステータスや趣味性を享受する。地域のカーイベントでは、18歳の免許取得直後の若者からシニアまで幅広く参加しており、クルマを介した交流や情報共有が確実に行われている。
(中略)
同時に、モノ消費からコト消費への移行が進み、所有より体験や共感を重視する価値観が浸透している。都市部ではカーシェアやサブスク型サービスが、この心理的ハードルを逆手に取り、体験型価値を訴求する。一方、地方でも残価設定クレジットや中古車購入など、維持費や資産価値を意識した合理的判断が行われている。つまり、若者のクルマ離れは単なる「興味の欠如」ではなく、経済条件とライフスタイルの変化による所有意識の転換である。
(中略)
経済状況の変化や保険料・車両価格の上昇も、都市部での所有意識低下を加速させる一方、地方では高級車志向やマイルドヤンキー文化を通じて、所有の価値が維持される構造を生んでいる。
なぜ「都会の若者」は免許を取っても車を買わないのか? 地方の高級ミニバン志向と対比する、所有意識の崩壊とは(Merkmal) – Yahoo!ニュース
表にするとこんな感じ。
| 観点 | 都会の若者 | 地方の若者 |
|---|---|---|
| クルマの必要性 | ほぼ不要 | 生活必需品 |
| 移動手段 | 公共交通・カーシェア中心 | 自家用車中心 |
| 所有意識 | 所有より利用 | 持つことに価値がある 大型ミニバン・SUV・高級車志向が 存在(アルファード、ハリアー等)。 |
| 費用の捉え方 | 維持費が高負担 | 残価設定クレジット・中古車購入など、 所有前提で費用最適化を行う。 |
| 車に求める価値 | 合理性・必要性 単なるコスト、移動手段 そこに愛はない |
移動+ステータス・趣味性・象徴性 クルマを介した交流やイベントが活発で 地域コミュニティ性が強い。 |
若者は都会に、そして都会の若者はカネがない:
また、そもそも都市化と地域の過疎化が進み、若者は都会に集まります。
そして若者の可処分所得はどんどんと減っていますが、物価も高く駐車場代も高いので、
車を買う余裕がないとも言えるでしょう。
車を買う金があるならば、他の娯楽や生活費にあてたほうが満足度が高い人も多いかと。
田舎は車にステータスとシンボルを求める:
一方、地方の若者は年収も低いですが、駐車場代も安い。加えて公共交通機関のカバーが限定的ですので、
車がないと生活できません。よって可処分所得で車を買うor借りるしか無い。
長期間利用前提だと、そりゃスポットでレンタカーを借りるより、買ったほうが合理的です。
そして常日頃から乗っているので、所有欲も湧き、ステータス性やシンボル性が生まれ、
残クレアルファードを乗りこなし、車がコミュニティとなるわけですね。
そういったコミュニティでは、目立つもの、かっこいいもの、強そうなもの(悪そうなもの)が注目を集めるため、
いかついマイルドヤンキーがいかついアルファードを買う、というのが生存戦略上好まれやすくなります。
どちらがいいか、という話ではないのですが、なんとなく地方の若者のほうが「昭和臭い、けど人間臭い」気がします。
SNSなどのオンラインで若者同士群れたところで、思い出として何も残らない気もします。
しかし、友人と残クレアルファードでドライブしたり群れたり多少馬鹿をした思い出は、年を取って郷愁にふけりやすいかも。
そんなことを思う時点で、管理人も随分と年を取った気もしますが。


都会人はクルマは買わない事
これぞ節約速報
都心じゃ転す場所がない
都心じゃ保管場所もない
都心じゃガソリンが高い
都心じゃ公共交通で良い
都心じゃクルマいらない
結果、脱糞