アマゾンでサステナブルで環境に配慮した食品・飲料がお買い得に。真に受ける奴はおめでたい奴だな。
アマゾンでラベルレスパッケージや大容量パッケージを採用し、
サステナブルで環境に配慮した食品・飲料がお買い得を実施中です。
ははっ、アホかと。
そもそも2L×9本のペットボトル飲料をアマゾンで購入し、宅配便の運ちゃんに運ばせておいて、
何がサステナブルなのか。ラベルが無くなったぐらいで環境に優しい?
ラベルの製造と貼り付けコストは一体サプライチェーン全体のどの程度を占めるのだろうか。
多めに見積もっても、わずかに数%でしょう。
本当に環境のことを考えるのであれば、出来る限りものやサービスを消費せず、
水道水でも飲んでいればよろしい。ジュースも飲まなくてよろしい。
大量消費とサステナブルのバランス取りが必要だ:
とは言え、それでは人は生活できません。死んでしまいます。
企業も倒産してしまいます。失業者で溢れ、人は物が買えず、餓死します。
街を捨て、農耕文明を捨て、野に帰りますか?狩猟採集生活を送りますか?
生き残った人類で、また薪をくべて火を起こして暖を取る生活に戻りますか?
それはそれで大量の木が伐採されてサステナブルではありません。
人類が絶滅すれば、地球環境はサステナブルだ理論もありますが、
その場合はサステナブルという概念が消えてしまいますので割愛。
という訳で、大量消費大量廃棄社会とサステナブルな社会のどこかでバランスを
取らなくてはなりません。
個人にできることは節約:
個人にできることとしては、節約です。不必要なものを買わないことは、
企業に余計なものを生産させないという意味でサステナブルな社会に近づきます。
例えばアマゾンのサステナブルなセールコーナーに並んでいるこういった野菜ジュース、
財布と環境への負荷は最悪です。なんでこれをまとめ買いさせることがサステナブルなんだよ。
わずか200mlに紙パックで個装して、サプライチェーンに乗せて運ちゃんに個別に届けさせる。
いくら定期お得便で1本63円とは言え、1L換算で315円という劣悪なコスパ。
だったら、最初からスーパーで1L198円の野菜ジュースを買えば良いんですよ。
必要な分だけ買い、手で持って買える。個別に個人の家に配送するのと、
スーパーなどの拠点に配送するのでは、エネルギー効率が段違いです。
財布にも優しく、地球にも優しい1L。そこにラベルがあろうがなかろうが、
どうでも良いことです。ラベルが無くて得をするのは企業の原価計算担当だけ。
200mlを買うのは、出先でどうしても「この野菜ジュースが飲みたい!」と欲望が抑えきれなかったときに、
しょーがなくコンビニで「高いなぁ、けど100円だしまぁええわ」とぼやきつつ買うものです。
ま、それはそれで美味しいから別に問題ないんですけど。
という訳で、企業側がエコやらSDGsやらサステナブルを言い出すのは、
たまに本気で環境のことを考えている場合もありますが、
「その方が受けがいいから」「売れるから」という場合も多いです。
そして企業が本気で環境のことを考えているのか、それともポーズなのかは、
その時々では消費者側からはうかがい知ることは難しいです。
そして、その判断がつかない時は、とにかくコスパが良いものを買いましょう。
企業の値付けの種類はコストプラスやマークアップ価格設定方式なdいろんな方法があり、
競合他社との競争具合にもよりますが、企業側のコストに依存する場合が多いです。
売値が安い⇒企業側のコストも安い⇒環境負荷も低いという相関は成り立つでしょう。
という訳で、消費者側が出来る努力は、とにかく常識的な範囲で節約することですね。
企業側が出来る努力はまた別です。昔みたいな環境は破壊してなんぼ、みたいな考えは許されず、
環境に配慮し、コストに配慮し、法令・省令・規制に配慮し、消費者に配慮し、
ステークホルダーに配慮し、かつ、売上を上げて上司・会社に配慮するという
バランス取りが求められます。
その意味で、同じ人間でも、消費者としての側面と、企業人としての側面、
両方からバランス取りを求められるわけです。現代人は大変だな。
まるでジョージ・オーウェル著の1984のダブルシンク(二重思考)じゃないか。
そりゃ心を病む人が増えますわ・・・
「誠意は言葉ではなく金額」
「そもそも2L×9本のペットボトル飲料をアマゾンで購入し、宅配便の運ちゃんに運ばせておいて、
何がサステナブルなのか。ラベルが無くなったぐらいで環境に優しい?」
一人が各地に運んだ方が圧倒的に環境に優しいぞ。
「人類が絶滅すれば、地球環境はサステナブルだ理論もありますが」
ないよ。サステナブルの意味わかるか?イキる前に辞書を引こう。
頑張れー
管理人はサステナブルに親でも殺されたんか??